-
FENICE
-
Year: 2023
Medium: glass
Dimensions: 52.5 x 41 x 45.5 cm (20 5/7 x 16 1/8 x 18 in.)
Acquired from ShugoArts, 2023
「祈りのかたち」を表現したのだと展覧会時のコメントで三嶋は述べている。人々が何かを祈る時、カソリックのイタリアであれば神や聖人に、日本であれば神仏や祖先の霊などに向けて想いを送るのだろう。この祈りや想いは眼に見える形を持っていないためいかにも造形しようのないものだ。三嶋は眼に見えない「かたち」を見出そうとしている。三嶋が用いる透明度の高いベネツィアン・ガラスは、無色透明の物質という特性においてある程度その標たり得るとも言える。ただそこにあるだけで硬く重い物質性を視覚的にも強く主張してくるガラスの塊は、一方で容易に光を透過してしまう存在の希薄さをも有している。可視と不可視の双方の領域を含有するガラスによってならあるいは「祈りのかたち」を表し得るのかもしれない。「Fenice」は不死鳥(Phoenix)を意味するイタリア語である。本作は、肋骨か羽のようなものが重なり合って作られた襞状になっている。ガラスの成型過程における飴のような粘性をそのまま固定化したようなダイナミズムがあり、今にも動き出しそうですらある。不死鳥は自ら炎の中に身を投じ、その灰の中から蘇ることを繰り返すことで不死の名が与えられている。キリスト教圏では復活を示す図像としても描かれてきた。ガラスは珪砂とまさしく灰(ソーダ灰)から生み出される。鉱物であったものが炎に溶かされて、灰と混ざり合って新たな姿に生まれ変わるのだ。三嶋によって生み直されたこの何ものでもない「かたち」を果たして私たちは真に正しく見ることが可能だろうか?この見ることの能わない「かたち」のなかに「祈り」のような不可視が表れているとすればそれは矛盾だろうか?